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7月7日は笹の節句「七夕」ですね。

【投稿日】2013年07月01日 【カテゴリー】お知らせ  

【 た な ば た 】
「七夕」の起源は古代中国で七月七日の夕方を意味します。七夕には「牽牛(けんぎゅう)星の彦星」と「織女(しゅくじょ)星の織姫」の天の川恋伝説があります。織姫は、天帝の娘にして美しく、また、天女として七色に輝く布を織り、さらには悲恋のヒロインと、花嫁修業中の宮廷の娘達にとっては理想と憧れの女性像でした。やがて、宮中では彼女を憶い、七月七日の夜に織女星を眺め、祭壇に針糸・楽器などを供えて技芸の上達を願う「乞巧奠(きっこうでん)」と言う行事が生まれました。その際に、梶の葉に願い事を書いて、五色の糸で吊るしました。これが、日本の今に伝わる七夕笹に吊るす五色の短冊の原形だそうです。七夕が日本へ伝わったのは奈良時代で、笹を用いるようになったのは江戸時代からでこれは日本独特のものです。その普及には面白い話しがあります。当時の江戸は寺子屋が盛んで、ある寺子屋が子供達の手習いが上達するようにと「乞巧奠」を真似て、五色の短冊に祈願事を書かせて竹笹に吊るさせました。これが子供達に大好評で、瞬く間に日本中の寺子屋に広まり、今に至っているそうです。

【 七夕そうめん 】
「七夕そうめん」の由来も中国の故事によるものです。古代中国の貴人の子供が七月七日に病気で亡くなり、それが鬼人となって人々に疫病を流行らせたために、生前その子が好きだった「索餅(さくへい)」を供えて祟りを静めたことから、病い除けとして索餅を食べる習慣が広まったとされるものです。その「索餅」とは、現在、日本で食されている「素麺(そうめん)」に近いものではなかったかと言われています。奈良時代に中国から伝わった調理法が記された書物には「索麺(さくめん)」と記されてありましたが、中国語で「餅」と「麺」はどちらも小麦粉で練られたものを指しますので、「索餅」と同じ物と想像されます。「さくめん」がなまって「そうめん」、それに「素麺」の文字が当てられた様です。平安時代の宮中の書物(延喜式)には「七夕にそうめんを食べると大病にかからない」と記されており、七夕そうめんの歴史がいかに古いかということがよく分かります。

 

 

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