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5月5日は「端午節(菖蒲の節句)」です。

【投稿日】2013年04月27日 【カテゴリー】お知らせ  

【 端午の節句 】 
端午の節句の起源は古く、二千三百年以上前の古代中国にさかのぼります。端午の語源は「端」は「初め」、「午」は「五」に通じ、「五月初めの五日」という意味で五節句のひとつです。この日は季節の変わり目にあたり、邪気が入り込んで疫病に掛かり易いとされるために厄を祓って健康を祈願する儀式が行われました。その健康祈願に用いられたのが生命力に溢れ薬効や邪気を払う力も強いと信じられるこの時期の新芽の薬草で、菖蒲を浸した薬用酒を飲み、家の軒下にヨモギを吊るし、湯に蘭を入れて沐浴をしたりと様々な厄除けの習慣が生まれました。そして、奈良・平安時代の日本へ五節句のひとつとして伝わった端午は、武家社会のなかで「男子の節句」として重要な役割を果たしました。菖蒲が尚武(武を尚ぶ)に通じ、葉の形が剣に似ているので立派な武士として男児が育つように祝い、武技を奨める節句になったとされています。

【 ちまきの由来 】
日本では、端午の節句の食べ物と言えば柏餅(かしわもち)と粽(ちまき)です。柏餅の習慣は日本固有のもので、柏の葉は新芽が出ないと古い葉が落ちないために「子孫繁栄」の縁起菓子として江戸中期から親しまれてきました(但し、関西以西では柏の木は自生していないので、九州ではあまり馴染みが無いのも確かです)。 また、ちまきの習慣は中国から伝わったもので、約二千三百年前の楚国の政治家 屈原(くつげん)の故事に由来するものです。詩人でもある彼は国や民を憂う詩を数多く残し、人々からも愛されていましたが、陰謀によって失脚し国を追われる身となり、故国の行く末に失望した彼は、五月五日に川に身を投じ国に殉じたのです。屈原の死を嘆いた人々は、船を出して遺体を探しますが、見つからないために、川に「ちまき」を投げ入れて屈原が魚やエビの餌にならないようにしました。結局、屈原は見つかりませんでしたが、毎年旧暦五月五日の端午節に屈原の供養祭を行い、供物としてちまきを作り、親戚や知人に配るようになりました。これが端午にちまきを食べるようになった由来とされています。

 

 

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