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2月3日は「節分」です。

【投稿日】2013年01月28日 【カテゴリー】お知らせ  

【 節分の由来 】
「節分祭」は、日本の伝統行事の中のひとつですが、その由来は古代中国にあります。節分とは、「季節を分ける」と云う意味の言葉で、古代中国の暦「二十四節気」の立春・立夏・立秋・立冬の前日全てを指し、本来は年に四回あるものなのです。その中でも、古代中国では立春を一年の始め(元旦)としたために、立春の前日である節分は大晦日として特に重要視されるようになりました。次第に「節分」と言えば春の節分を指す様になったのです。そして、季節や年の変わり目である節分の日は、悪気邪気が入りやすいとされ、宮廷では追儺(ついな)・儺(鬼やらい)と呼ばれる儀式が執り行われました。これは、夜に現れる疫病などをもたらす悪い鬼を桃の木で作った弓と葦(あし)の矢で打ち払い、一年の無病息災を願うというものです。やがて、この儀式は平安時代の日本に伝わり、宮中行事として取り入れられようになりました。

「鬼は外、鬼は外! 福は内、福は内!」
日本では、平安以降、前出の儀式が宮中で行われていましたが、室町時代になると、公家や貴族が一年の厄を祓い、鬼を追って福を呼び込もうと神社仏閣で、「豆打ち」による節分祭を盛大に行いました。これは、宮中で行われる追儺の「豆打ち」を取り入れたもので、この時に始まったとされるのが「鬼は外、福は内」の掛け声で、五百年以上経った今も何ら変わることなく使われているのには驚かされます。江戸時代になると、呼び方は「豆打ち」から「豆まき」へと変わりますが、これは、公家や武士が「鬼を打つ」時代から、農民が豊作を願って「畑に種をまく」時代への変化を表した良い事例で、節分の行事が庶民へと広まっていったことがよく分かります。また現在、中国では「節分」の言葉は死語で、節分の習慣もありませんし、中国人に「節分」と漢字を書いて見せても意図が伝わることはまずありません。中国から日本に伝わり日本の伝統行事として残った「節分」、これからも大切に伝えたいものです。

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